カイジの鉄骨渡りと言えばカイジの中でも理不尽なエピソードのひとつですね。ギャンブル漫画がベースかと思いきや、気力のみで鉄骨を渡ることに主軸を置いたこのエピソード。
カイジといえば今でこそ様々なギャンブルを主軸にして駆け引きをしている印象ですが、ただ鉄骨を渡るというシンプルな話なのに、命をかけるとこんなにもドラマチックに描けるのかと衝撃を受けた話です。
例えば落ちても死なないくらい低い鉄骨を歩くのは誰でもできますが、それが何メートルもの高さの鉄骨の上だと人は臆するでしょう。それが何メートルなのかは人それぞれですが、ある程度の高さまでいけば誰でも命の危険や怪我の危険を感じるでしょう。
いよいよ死ぬのが確実な高さになったときにどんな行動をするかで人間の本質がでるのでしょう。
そんなときに石田さんが下した判断は本当に驚愕です。安全地帯でショーを楽しむ大富豪たちには決してできない覚悟を感じます。
ただ無言でカイジに未来を託す。無言で鉄骨から落ちるというのは中々できることではありません。自分の人生の最後を泣きわめくことなくただ無言で終わらせる。
そんなことできるだろうか。自分より大事な存在のために自分の人生を投げ出すこと。
まさに強く死ぬ!前のめりで死ぬ!
例えば自分の子どもができたら無償の愛で、そんなこともできるかもしれません。しかし現実の現代の世の中で所詮は他人の、恋人や配偶者のためにそこまで命をかけれる人はどれくらいいるのでしょうか。
それでも石田さんはやってのけた。借金から逃げる妻のために。黙って鉄骨から落ちる。希望をカイジに託す。
人間は所詮は最後には自分が可愛いのだろうと思ってました。
そして石田さんとは対比的な描かれ方をする佐原。彼は若さゆえに自分の野心をとる。死ぬことではなく、自分こそ生き残り大金を掴みたいと言う思いが強い。
だからこそ彼は成功に近づく。自分だけの幸せのために。しかし、それ故に希望の階段を見つけれなかった皮肉。
希望とは温度。通信は伝わらない。他人とわかり合えることはない。それでも人に託す。伝わるかはわからない。
それでも熱量を遺すしかない。生きた熱は本当だから。
どこにも伝わらないとしても熱量があったこそは本当。
カイジではなくアカギの名言ですが「熱い三流なら上等」という言葉があります。
一流にはなれなくても、結果はでなくても、見下されても、それでも熱く熱量を残せれば上等だろう?
私は一流ではない、世界的なメジャーリーガーにもなれない、名医にもなれない、大富豪にもなれない、聖人にもなれない。
俗っぽくちんけな人生かもしれない。それでも凡庸に死ぬ。そんな人生かもしれない。
それでも熱ければいい。誰よりも熱を失わなければ上等。情熱(パッション)を持ち続けることができるなら。
賭博黙示録カイジの鉄骨渡り編は5巻後半から読めます!是非!!矜持を!
福本作品は人生のバイブル!!
※克己(こっき)とは自分の欲望や感情、邪念に打ち勝つことを意味する言葉だそうです。