映画 ロボコップ(1987年) ☆☆

80年代の乾いた空気感

ある意味現代のAIに通づるものがある。さすがに時代を感じる。今の若い人が見たらレトロすぎておもしろくないかもしれない。チープに見えるかも。しかし、ロボコップの装備は意外と今見てもかっこいい。この時代のアメリカのなんとも言えないかっこよさを感じる。80年代の空気感というか。ターミネーターやボン・ジョビみたいな。メタルとかロックという言葉。スーパードライみたいな。乾いた銃声が鳴り響く深夜のデトロイトとかの街並みがイメージできる。デトロイトというAIを描いたSFゲームが最近出たのもまた感慨深い。
アクションシーンはかなり血が出る。滅多撃ちとはこのことかというくらい撃たれまくる。最初あまりに撃たれて血まみれすぎて逆に笑ってしまった。現代の映画ではなかなか見れない演出に吹いた。派手さが良い時代。

 

美術や演出がまた良い

ストーリーは王道中の王道。勧善懲悪とロボコップになったことへの葛藤。ヒーロー万歳。ポップコーンムービー。
ロボのロボ感が素敵。まさに王道中のロボ感。THEロボって感じ。ロボ感が欲しい人にはたまらないロボ感。もうロボロボし過ぎて愛おしい。いとおかしいロボ感。憎いほどロボ。

この時代の人たちの描くロボといえばこんなメカニック感だなあ。メカニカルでテクニカル。メタリック。インタフェースから見える情報とか、タイトルのフォントとかメカメカしてていいなぁ。メタリックというか、ステンレスっぽさというか。当時は機械っぽさこそが、メカっぽさであったかもしれないが、これからはより自然っぽさがメカっぽさになるんだろうか。AIとかアンドロイドとか、より人間らしさに近づいているから。いつか見分けがつかない時代も来るのだろう。その転換期に生まれた我々の意味はなんだろうか。命とか人間の尊厳とは何か。みたいなことはこれからさらに重要なテーマになりそうですね。
脱線したが、頭とか肩とかの造形が意外と丸っこく艶っぽい曲線がまたいいな。今だったらもうちょっと角ばりそうだな。日本だったらツノついてそうだな。世紀末とか、北斗の拳とか、マッドマックスとか。世紀末とロボットのいろんな要素を足してテカテカに丸っこく磨き上げたのがロボコップという感じ。


最後が笑えた。戦いの武器に、棒VSロボコップの尖った部分という原始的な戦い。そして尖った部分で、敵を刺し、さらに尖った部分を会議室のモニターにぶっ刺して、映像を表示させる端末的な役割。人間USB。しかも尖った部分は血まみれなのにちゃんと動作するという高性能さが笑えました。荒くていいな。

 

以下引用

公開当時、一見ヒーロー映画にも関わらず、激しい暴力描写でR指定を受けた[9]ことなどが話題になった。また、純粋な娯楽作品に見える本作の秀逸な設定に、多くのSFファンが唸った[要出典]。それは“主人公のロボコップ=マーフィー巡査が「法医学的に死体の状態で機械的に復活した人間」である”というものである。当時は、サイバーパンク系のSF作品が流行しており、それらのファンから“「死を克服したヒーロー」ではなく「死んだ状態で生前の意識を持ち、葛藤しながら闘うヒーロー」という設定が、非常に明快なサイバーパンク的描写である”と評価された。[要出典]劇中においても、主人公は機械的に「蘇生」したわけではなく、単に「死体の状態での細胞死を迎えていない新鮮な生体部分を、ロボットの部品として利用されている存在に過ぎない」「彼は法的には死体であり、人権はない」と描写されている。

確かに意外と王道ではないということに気づかされる。思った以上に葛藤する主人公。ベタなサイバーパンクと思ってなめてかかっていたが、しっかりと内面の描写や葛藤も描かれていたんだな。今でこそロボットの自我の葛藤はベタかもしれないが、当時では斬新であることがわかる。ロボットは操るものという認識から、より人に近づく時期というか転換期だったんだろう。

話は変わるが、インターネット検索のSEOとは検索ロボットという機械のために機械にうけるための文章を人間が機械の真似をして書くみたいな話があった。こうなるともはや人間とは何か、人間が機械のために機械っぽく振る舞うという本末転倒な世界がやってきそうだ。いつかヒューマンコップというタイトルで人間が警察官役をやる映画ができるかもしれない。