理不尽と悪意に負けないために

男の世界はしんどい

くだらないことで人を傷つける人はたくさんいますね。そしてそれこそが男の世界にとっては成長といわんばかりに試練こそ、厳しさこそ男の世界の欠かせないものみたいな価値観を持った人は意外といます。正直、馬鹿馬鹿しいです、私はドMじゃありません。そんな価値観の押し付けは好きな人同士でやってください。しかしそうゆう物はあります。必ず。男の成長は痛みや試練を伴うというのは古来からの、なんというか共通認識みたいなとこがあります。スポ根的な、精神論と根性論みたいな。マンガの読み過ぎじゃないですか?
価値観を強要するのはいけません。その延長線上がパワハラでしょう。そうゆう、人の嫌な思いをさせる人の悪意はどのように受け止めるべきでしょうか。つらいけれど戦うしかありません。侮辱されたら戦うしかありません。
法治国家において、殴ったり物を壊したりの明確なパワハラはめったにありません。それ以上に多いのは言葉の暴力でしょう。というかほぼ全てがこれであると言ってもいいくらいです。
言葉の暴力には二種類あります。直接相手を罵倒することと、陰で相手の悪口を言うことです。陰口というのは、上司と部下の関係でも対等であるといえます。部下もたくさん上司の陰口を叩かかとができますからね。しかし、直接相手を罵るというのは、上司から部下へ一方なのがほとんどでしょう。部下は基本的に反論できないものですから。ただ、説教や叱るなどの、相手を諭す行為なら救いがあります。しかし、これがエスカレートした場合に言葉の暴力として一方的に、部下を追いつめる行為になります。では、理不尽な上司からの言葉の暴力に遭遇した場合どうすれば良いのでしょうか。

戦うか逃げるかより、第三の選択を

一番簡単な方法は、目をそらさないことです。人を傷つけることを言う人は、本人に必ずやましさがあります。負い目があります。本人に明確な悪意があります。そんなことを言ってくる人には目を見据える方法が一番です。文明社会において、暴力で人を傷つけることはただの犯罪です、だから敵は言葉であなたの心を傷つけようとしてきます。つまり敵はよくしゃべります。言葉の暴力に言葉で返すことは得策ではありません。もちろん、暴力で返すことはもっといけません。
大事なのは、相手のペースにはまらないことです。言い負かされるというのは、相手の挑発に乗ってしまっているからです。もしかしたら相手は周到に準備していて、あなたを打ち負かす論理と話術を持って攻めてきている可能性があるからです。
突然の言葉の暴力に、何も手を用意していない状態で反論するのは危険すぎます。あなたが言葉の弁が立ち、言い負かす自信があるなら良いでしょうが、ただでさえ上司と部下という分の悪い関係性の場合、相手の土俵に上がるのは得策ではありません。
反論がだめな場合は、逃げるのが良いのでしょうか。それもあまりいい手ではないですね。逃げるというのは相手の思うツボだからです。攻撃をしかける側は、相手が逃げるということも想定しているはずです。そんな相手に背を見せるというのは、最も危険な行為の一つです。あなたがひるんで目をそらしたとたんに、もっと追い打ちをかけるかのようにあなたを責め立てるでしょう。
だから、目をそらさず反撃も退避もせず沈黙を保つことです。戦意を捨てるというわけではありません、まず冷静に状況を分析するのです。相手が何に怒っているのか、何が気に食わないのか、どこに解決の糸口があるか見抜きましょう。
そして、見つかるまでは相手の口から「攻撃」という弾がでなくなるのを待ちましょう。

困難はひとつひとつ潰していきましょう

すべての攻撃が終わったらあなたのターンはどうするべきでしょうか。反論の余地があれば言っても良いですが、その場での反論はあまりよくありません。そこが職場の場合周りの目に映るからです。部下が上司に反論していたら他部署からみたら、あなたの評判が落ちます。あいつは上司に口答えするようなやつと思われます。そこまで計算に入れてあなたに反撃させようとしているかもしれません。だから、言われたことを忘れずに一度持ち帰ってみてはどうでしょうか。そして、冷静になってじっくりと論理的にどうすれば言われたことに対して対処できるかを考えます。その場で回答をするとどうしても感情的になってしまうからです。そして反撃をしたいなら、周りに人がいない状態で、話をする機会をとってもらえば上手くおさまるのではないでしょうか。

「インデペンデンス・デイ」みたいな映画って最近ないですね

かっこいい俳優は昔からずっとかっこいい

2017.06.10土曜プレミアムにてインデペンデンスデイを見た。
何年ぶりかに見るとやはり最高にいい映画だ。ジェフ・ゴールドブラムとウィル・スミスが今とあまり変わっていないのがすごい。当時からずっとかっこいい。個性的な俳優。ジェフ・ゴールドブラムといえば、ザ・フライもおもしろいですね。ウィル・スミスはどんな作品に出てもヒットするのがすごいですね。

予算の掛け方がすごい

この当時でこの迫力の映像もすごい。現代の邦画がまだ追いつけていないと思う。やはり予算の掛け方が日本とは大違いなんだろう。最近の邦画はようやくCGが違和感なく見れるようになってきたが、この当時でこの撮影のスケールがやはりすごい。いくら使ってるんだというようなシーンがところどころある。大統領にさえ秘密にされていたエリア51のセットもすごかった。セットの小型宇宙船も実際に作ったのだろう。
また、ところどころ懐かしいものが出て来るのがいい。PCは当然薄型モニターなんてないし、大統領がホワイトハウスで見ているテレビも平面ではない。今となっては当たり前のスマホも出てこない。
宇宙人に送るウイルスソフトもMacOS9という懐かしき神OS(よくフリーズしたけれど)。と言ってもOS9は10年前は私の中では0S9は現役だった。意外と最近までOS9を使っていたんだな。(笑)今のOSXのインタフェースを見慣れた状態で、OS9見るとおもちゃみたいで可愛いですね。この10年であらゆるテクノロジーが進歩したと痛感させられます。

名作の条件は

この映画は良いシーンが多いが、やはり大統領の演説シーンが人気だろう。久しぶりに見ても少し感動で泣きそうになってしまった。

しかし、この演説の内容は元ネタがあるみたいです。しかもシェイクスピアの史劇「ヘンリー5世」のそのままみたいですね、ちょっとショックです。

ciatr.jp
また、最初から最後までずっと展開がおもしろい。退屈する暇のなさは、ダイハードやバックトゥーザ・フューチャーなどのようですね。名作の条件は無駄なシーンがないことはもちろんだが、退屈するシーンがないということがあげられる。全てのシーンにおいてどこか神々しささえも感じる無駄のなさ。ずっとワクワクする展開。まさに名作。
しかし、5時間後に全世界で同時攻撃ってよく考えるとすごい無理があるな。情報を共有するだけでも半日はかかりそうなのに、どのような装備にするかもわからないのに攻撃準備して実行に移すとか。それを全世界同時に行なうとか、無理ゲーすぎますね。ある程度 臨戦態勢にあるという前提だとしても、やはり半日はかかりそうである。しかも通信が今ほど発達していない時代に。

世紀末の頃の映画と最近の映画との違い

やはりベタではあるが一つの目標に向かって、一丸となって何かを達成させる展開はおもしろいですね。だいぶアメリカかっけー&アメリカバンザイな映画ではあるが、展開の熱さは何度見てもいいですね。地球軍VS宇宙人というわかりやすい図式ですが、SFアクションなので女性向けではないかもですね。宇宙モノの女性にオススメの映画は、ディープインパクトアルマゲドンでしょう。

しかし、90年代はこの手の宇宙からの脅威を扱った映画が多いですね。世紀末の危機感などが関係しているのでしょうか。この時代は、終末ものやセカイ系が流行り始めた時代ですね。2017年現在の今はあまりこのようなジャンルはない気がします。最近では、リアリティのあるテロとかの脅威を扱う映画が多いですね。どちらかといえば現実に起こりそうで、気楽に見れるポップコーンムービーは少ない気がします。やはり映画などのエンターテイメントは時代や世相を反映しているものが人気になるのでしょうか。

I'm so crazy about game.(ゲームに夢中)

New Nintendo 3DS LLが欲しい理由

新しい3DSがあるということを知った。News3DSというやつだ。従来のものと違いがよくわからないが、買おうか迷っている。なぜかというとテラリアというゲームがやりたいからだ。このテラリアというゲームは中毒性がすごい。とにかくハマる。マインクラフトと似ている点が多いのでよく比較されるソフトである。元々は私はiPhone版をやっていたのだが、ゲーム機でもやりたいと思ったからだ。だから3DSを買おうか迷っている。しかも昨日はわざわざお店に価格を見に行った。画面のサイズ感は3DSLLがやはり好みである。テラリアだけならPS VITAのを買えばいいのだが、3DSの魅力は何と言ってもバーチャルコンソールでもある。過去の任天堂作品ができるものはこれだから。PS VITAでも昔のPS時代のゲームをゲームアーカイブスでやっているが、やはり任天堂作品をしたいという気持ちがある。スーパーファミコンゲームボーイのソフトをいつでもできるというだけでワクワクする。マリオカートの初代やゼルダもやりたい。ファイナルファイト2もやりたい。大画面でやりたい。LLを買うなら2万近いし、ソフトもあれこれ買うと4万近くいく気がする。けど欲しい。とりあえずテラリアのVITA版を買ってみようかという気持ちもある。ダンガンロンパも欲しいし。
あとバンドブラザーズも欲しい。大合奏バンドブラザーズは、音楽系を楽しむならこれと言わんばかりに私に訴えかけてくるものがある。

テラリアはVita版を買うとして

サンドボックス型というジャンルのテラリアのハードごとの違いを調べてみた。まず調べてわかったのは、オンラインでできることである。そういえばiPhone版もできた気がするがなぜわざわざ買うのか。
違いがわかりやすいyahoo知恵袋を見つけた→
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12158797902
この内容を見る限り、私の場合Vita版が向いている気がする。そのため、Vita版を買うことにした。iOS版よりもボリューム感や操作感が良さそうである。久々にVitaを電源入れるか。
しかし、そうなると3DSを買う理由が減ってくる。3DSも非常に魅力的なハードであるが、最新のゲームはあまりやる気が起きない。2DSの新型が出るらしく、ドラクエ11版みたいなものが7月に出るという話である。しかし迷う。スマブラくらいしか純粋に欲しい3DSソフトがないからである。バーチャルコンソールのために2万近くの出費は惜しいし買うと昔のソフトも大量に買って、積みゲーになることが目に見えている。そうなるとやはり4万近くになる。思い出に払う4万は痛い。過去にとらわれ4万払い、それが未来に繋がる何かを生み出すのだろうか。切実。他にもやるべきことはたくさんある。生産的な活動をしないと金と時間の浪費になる。大人になるということは我慢も大事。それでも欲しい!!
ファミコンミニも欲しい。時間とお金が何よりも欲しい。

永遠に近い「時の最果て」には何があるのだろう

時間とは変化

何かが存在するということは、時間こそが証明してくれるのではないか。
何かの存在を確かめるには、観測することができるからである。観測とは観測者がいて成り立つ。観測者が何かを感じとるには五感が必要になる。五感で確かめるということは、見たり聞いたり触れたりすることである。今見ているものを感じる、過去見たものは記憶として脳に残る。つまり今起きていることを観測するにはリアルタイム性が必要になる。そうなると過去のできごとは存在しなかったのだろうか。そんなことはない、歴史も思い出も何らかの形で今も存在するから。それを忘れてしまったとしても、他の人が覚えていたり環境が教えてくれる。時間とは変化である。では変化することは失うことなのか。
そんなことはない、感じ取ったぬくもりは確かに次の何かに繋がっているから。
ご飯を食べたという事実があるから、満腹になり元気に動ける。行動するエネルギーに変わる。好きな人がいたから、幸せな思い出があるからまた人を好きになれる。嫌いな人がいたから同じような人を避けれる。何かに記していなくても確かに思い出は存在する。

意志を永遠に残すことはできるのか

今から137億年前に宇宙は生まれたらしい、今から何年宇宙はつづくのだろう。地球誕生は約45億年前。
アウストラロピテクスは400万年前に生まれたらしい。まだまだ猿人くらいだろう。
2017.06.10(土)のニュースで人類ホモ・サピエンスの30万年前の化石が北アフリカのモロッコで見つかったという。これまでの定説より10万年も前らしい。10万年の差というのはすごい。西暦でさえ2000年ちょっとなのに10万って。10万年後に今の人類の化石が見つかったらどうなるんだろう。というか現代の場合は火葬されるから化石もくそもないが。なんらかの形で現代の文明は発見されるのだろうか。物としての情報はそれこそ化石のような残りやすいものはでてくるかもしれない。データは残るだろうか。PC自体は消え去るだろうが、例えばクラウド上にあるデータは高度に分散されたインターネット上に残り。PCやサーバーがすべてなくなっても、バックアップ用の電波とか粒子とか波長に変換され宇宙の海を漂っているのかもしれない。現代人が生きていたという証が電波として、誰かに受信されるかもしれない。そうなると私のこの雑記も10万年後の誰かが読んでいるのだろうか。ただ、現代語を読めるかは不明だが。数百年前の古文や漢文を読むのに苦戦するレベルの私には10万年後の言語体系なんて想像もつかない。
言語という保存方法自体が未来人にとってはナンセンスなのかもしれない。もっと一瞬で伝えたい概念が伝わる通信や記憶媒体があるのだろう。エスパーとかニュータイプとかのレベルの世界になる。いつか脳波とかで会話をする日が来るのだろうか。言葉がなくなったら、どのような影響が出るのだろうか。想像もつかない。

「積みゲー」と失われた何かを求めて

TVゲームが好きだ

この感情に嘘はない。なぜなら私はTVゲーム黄金時代とも言える80年代から00年代の間に少年期を過ごしてきたからである。この80年代生まれの子どもがマリオやドラクエ、FFを避けて通ることはできるのだろうか。無理だろう。多感な時期にいかにも面白そうなパッケージや軽快なBGM、そして何よりも様々な表現を魅せるゲーム性。ワクワクする要素しかない。日常がディズニーランドにいるような感覚だ。ゲームに限った話ではないが身の回りには商業主義が溢れかえっている。どこを見てもエンターテイメントがあらゆる感覚を刺激してくる。退屈することは罪とはいわんばかりに、退屈させないようにあの手この手で煽ってくる。射幸性というのだろうか。
子どもにとってはより刺激が強い。子どもはCMなどのあらゆるメディアを鵜呑みする可能性があるからだ。私もその一人の少年だっただろう。新しいゲームがでる度に親にねだっていた記憶がある。当時の90年代スーパーファミコンソフトは8,000円〜10,000円位が定価だったように思う。今の感覚でいうとかなり高く感じる。両親に感謝。

人はなぜゲームを「積む」のか

積みゲーという言葉がある。ゲームは買うのに、やらずに積んでいってしまう状態のことだ。私もその一人だ。ゲームは大好きなのに、買ってはやらないの繰り返し。いつの日からかそうなってしまった。たぶん仕事に追われ時間がもったいないと思うようになったことと、感性が既に大人になってしまったことが原因だろう。
ゲームは時間がかかる。それこそRPGとかを本気でやろうとしたら50時間位はかかる。下手したら100時間くらいはかかるのではないか。1つのゲームにこんなにも時間をとられて、しかもおもしろくなかったら後悔しかない。ビジネス書を1冊でも読んだほうが有益と感じてしまう。ビジネス書なら概要だけなら1時間くらいで読めてしまうし、仕事や生活に役立つからおもしろい。サラリーマンの自由時間は少ない。平日はほぼ仕事と家事で終わってしまう。土日もなんだかんだしていると遊んでいる暇はない。週に自由に遊べる時間は20時間くらいとする。そうすると1本のゲームをやるのにどれほどかかるのか。その結果有益な何かを得られるのか、という気持ちを持ったらすでにやることはできない。
もっと楽しいこともあることを知ってしまったから。恋愛であったりスポーツであったり、子どもの頃にはできないようなお金の使い方ができることもある。数千円あったら、寿司でも食べに行きたい。
感性的にももはやおもしろと感じれなくなってしまっている。無骨な「信長の野望」とかの絵柄なら許せるが、アニメっぽい絵柄だと萎える。良い年こいて何してんだって気持ちになり、アニメっぽい絵柄に感情移入できなくなってきた。少年の頃の作品は許せてしまうから不思議である。ポケモン赤緑ドラクエ5・6のキャラクターは今も好きである。けれど最近のポケモンの絵柄を見てもあまり感情移入できそうにない。たぶん今ゲームに夢中な子どもたちも将来はそんな感覚を味わうのだろう。
そう考えるとファイナルファンタジーのアートワークで有名な天野喜孝さんの絵柄は、今見ても大人っぽいからすごい。当時も芸術性が高すぎて理解の範囲を越えていたイメージなのに、今見てもすごく大人っぽい。

それでもゲームをやりたい。

けれど時間はない。感性もない。
失われた時間と感性が欲しい。新しいドラクエ11のサブタイトルは「過ぎ去りし時を求めて」らしい。有名なフランス小説の「失われた時を求めて」をベースにしているのだろうが、ストーリーも何か関係あるのだろうか。ドラクエといえばサブタイトルのかっこよさも魅力。「天空の花嫁」や「導かれし者たち」が好きです。
今度じっくり社会人が効率よくゲームを楽しむ方法について考えてみたい。

光が生み出すエネルギー

光とは何か

太陽光に浴びることは良いこととされる。しかし紫外線の影響もあり皮膚がんなどのリスクもある。そもそも光とは波長なのか粒子なのか、実はよくわかっていないという説もある。これは量子力学とかの話になるのだろうか。植物は光合成をしている。動物も成長や代謝の物質を体内で合成しているらしい。骨や歯を作るビタミンDを太陽光を浴びることで得られるんだとか。骨などはカルシウムのイメージですがビタミンDの影響も大きいみたいです。そもそも化学合成という現象が不思議である。ニワトリはカルシウムから卵を作るのでなく、化学合成で卵を作るという。体内でいろいろな物質が化学反応を起こし、違う物質に変えている。当たり前に生きているだけなのに、不思議ことばかり起こっていることに気付かされる。知らないところで、実に様々なことが起きている。
日本人は特に日光浴をしていないため、ビタミンD不足になりがちという。また、ビタミンDは食材からの摂取は難しいらしく、そのため太陽光から皮膚へ吸収することが効率が良いそうです。

神経伝達物質って名前がかっこいい

神経というのも大変に不思議な存在であるが、太陽光は自律神経などへの影響もあるらしい。ただの光でなぜこんなにいろいろなことへ影響があるのだろうか。普通の電気の光とは何が違うのか。光エネルギーというものがあるらしい。これは電磁波の一種のようだ。最近流行りのソーラーパネルもこの関係だろう。
太陽光によって「セロトニン」が生成される。神経伝達物質の一種でうつに効くらしい。神経伝達物質とは何かという話になるが、これはまたいつか調べよう。幸福ホルモンと呼ばれるセロトニン。何事も過剰にならないほうが良く、バランス良くホルモンを分泌したほうがいいと思うのが私の考えだが、おそらく加齢とともにこれは難しくなるのだろう。若い頃はそんな健康のことなど一切考えていなかった。体力はいつまでもありつづけると思っていたし、精神のバランスなど一切気にしていなかった。

骨や免疫系の健康の他に、認知症などの脳への影響や高血圧の予防にも繋がるらしい。
日照時間の少ない冬や、気温の低い赤道から遠い地域はどうなんだろうか。暑い地域と寒い地域では人間の生息やあらゆる生き物の生態が違う。つまり光は生命の進化にさえ影響があるということである。寒い時は外にいたくないので、必然的に夏の方が外出をしやすい。そのため太陽光にもよく当たるということだ。つまり、夏のほうが活動的になる私は太陽によって動かされているのだろうか。

また、日照時間とビタミンDについておもしろい記事を見つけたのでリンクを貼っておく。

体内で必要とするビタミンD生成に要する日照時間の推定
-札幌の冬季にはつくばの3倍以上の日光浴が必要-
https://www.nies.go.jp/whatsnew/2013/20130830/20130830.html

夏の扉をきっかけに

謎を解くには

宇宙のことを考える。いつも退屈だから。辛いことが多いから、遥か遠くのことを考えることで気がまぎれる。変化していく。大いなるユニヴァース。時間は膨大で、どこまでも遠くて、ループしているのだろうか、パラレルワールドなんだろうか。その謎が解ける日なんて永遠にこないかもしれない。天体は続くのか、本当のことを言えば地球が丸いということさえ真実かどうかわからない。聞いた情報を鵜呑みにして信じきっているだけ。教育という洗脳でそれが当たり前だと思っているだけ。それでもそれを前提として生きていかなければ始まらない。

不思議な日常の中で求め続けている、今日も。

それでも町は廻っている」というマンガがある。とても面白い。なんというか日常のギャグ漫画なのに宇宙とか哲学の匂いを感じる。明確に示されたわけではないが、爽やかで日常というどこにでもある身近な宇宙を感じる。「プラネテス」というSFマンガで、「ここも(立っている大地も)宇宙だ」というシーンがあった、とても印象的。生きているだけでそこは宇宙になる。日常はそれを忘れさせる。忘れてはいけないことを忘れさせる。でも気にしてばかりいたら生活できない。それも面倒だ。

一体なんなんだろう、この世は。不思議なことばかり起こる。当たり前のことばかり起こる。意味を見出すのは、自分の価値観次第。自分を生かすも殺すも自分次第。人生のテーマは、自分で与えるしかない。

神殺しのジレンマ

例えば、封建的なことを価値観としていた時代であれば、割と盲目的に生きていけたのではないだろうか。君主に仕えることで、それが自分の人生と割り切ってしまえる。ストレスはもちろんあっただろうが、現代人のように心を病むことは少なかったのではないか。現代は変に自由がありすぎて、自分の軸がぶれてしまうのではないか。大昔からそれを支える方法は宗教であっただろう。神を心の軸にすることで困難や災難を乗り越えてこれたのではないか。しかし現代は神を科学に置き換えてしまい、どこかで割り切ってしまっているのか。未知や超常現象という割り切れない割り算を、科学で分断してしまい無理やり割り切っているんだろうか。不思議なことを神様や妖怪のせいにできていたから、それが自然であった。これは養老孟司さんの「バカの壁」でもこのようなことを言っていた。

不自然に気づいてしまったことで、矛盾を知りストレスが溜まってしまう。脳を量子レベルで分解しても、そこに命が無いように。不思議をどんなに解剖しても真実や神はそこにいない。無機質な数値に置き換えても概念を理解することなんてできない。なぜなら数値も文字であり、人が作ったものだから。人を超えた概念を理解するのに、人の言葉という概念では理解できない。感覚的には理解できても腹には落ちない。

だから人は何かに代用したくなる。すがりつきたくなる。偶像崇拝。命そのものを見つめることは辛いけれど、見つめることを忘れてはいけない。厄介な存在。

松田聖子さんの「夏の扉」という曲がある。いつもこのイントロを聴くと心の何かがはじけるような気持ちになる。調べてみると、財津和夫さんが作曲らしい。(「青春の影」や「心の旅」が好きです。)実にキャッチーで命の衝動というか、鮮やかさのような気持ちになる。何か大切なことを思い出したいきっかけを掴む時、私はこの曲を聴いている。