こんなこと考える夜は早く寝た方が良い典型

あなたが今まさに眠ろうとしている時、私は起きていてコーヒーを片手にチョコチップクッキーを食べている。
そう、つまり人生とはそうゆうことだ。時間が存在していて、場所が空間が存在していて、それなのに私とあなたは別の存在である。

つまりはそうゆうことだ。おそらくそれが、そんなことがビッグバンか何か知らないが、存在が始まった頃から今この瞬間まで、退屈なほど普遍的な事実でありそしてどうしようもないくらいの真実だ。きっと明日どこかの公園の噴水の片隅に止まった鳩も、薄暗い路地裏にひっそりとある小さな会社のオフィスの事務員の引き出しも、太平洋に向いて回り続ける風車を支える歯車も、多分明日も存在している。


バカみたいに途方もない時間をかけてそれらが今そこに存在している。そこに存在していなかったものの理由が語られないように、そこにそれはある。

明日そこにそれらがあり続ける可能性が今はある。今あるのは可能性。起きるかもしれないこと、起きないかもしれないこと。瞬く間に、カタチ造られ消費され、オオスズメバチが巣穴を作るために砂粒を運び続けるように途方もない労力をかけて、今私はここに存在しチョコチップクッキーを食べ続ける。

 

チョコチップクッキーなるものは、咀嚼され、形と概念を咀嚼しきった頃に、私の血なり骨なり、栄養となり溶け交わり私の概念と重なり合う。

そしてそれが私の指を動かすエネルギーとなり、そのエネルギーでキーボードを打ち、光が電子が超高速で通信されどこか遠い、でも地が続くこの島国のどこかで、あなたの網膜に映し出され神経が脳が情報を伝達し、理解されまた困惑され、あなたのうっすらとした記憶とまどろみの中で一瞬の夢へ代わり。遠い遠い、いつかなんてことない風の心地よい空の下で、季節外れの薄着をした結果でたくしゃみがきっかけで、この文章を思い出すかもしれない。思い出さないかもしれない。思い出さないでほしい。


それはそんなことはなんともない、なんの意味もないのだろうか。何も生み出さない。ささやかなふれあい。ほとんどが無意味なこの世界で一番無意味なものを探し続けるために、今日もまた穏やかな音楽とともにチョコチップクッキーを食べ続ける。そうやって後悔し続ける。朝起きてこの文章を読み直して、シラフなのにどうかしていたなと恥じらい、また後悔する。そんなくだらない穏やかな夜こそが極上の幸せである。
おやすみなさい。