本 クランボルツに学ぶ夢の諦め方 ☆☆☆☆

そもそも夢って何だ

すごい話でした。お笑いで成功する芸人を分析している。成功レベルに至るには100万分の1とかの運。フェルミ定数や統計学のような考え方で、成功者を突き詰めると、あるレベルに達する。ある程度の成功をするお笑い芸人は、学生時代同じクラスのコンビばかりと言う結果に。すべてではないが、その傾向が高いらしい。実力もすごいが、成功するコンビが揃うクラスはものすごい確率で奇跡のようなクラスだな。

つまり、レジェンドクラスの成功者になるには、運も実力も努力もすべてが必要。ひとつでも欠けると凡人に。


夢を叶えるために夢を諦めよう

そもそも、この本を読むことに至ったのは下記の記事を読んでそんなことを考えました。

www.outward-matrix.com

人生とは思い通りにいかないものです。夢が大きければ大きいほど、現実のギャップに苦しむことになります。だから叶わない夢なんて捨ててしまいましょう。遠すぎる目標は自分を苦しめるものです。今できることだけをやる。シンプルに目の前のタスクに集中する。そうすれば何か小さなことが変わる。それを続けると結果的に夢に繋がる。そんなものではないでしょうか。
そんなことを考えていると、この本に出会いました。

クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方 (星海社新書)/海老原 嗣生
計画的偶発性理論やクランボルツ理論と呼ばれる考え方で、夢などの目標は実は自分で選んでいるようで実際は偶然出会ったものの積み重ねなんだそうです。またそれらの目標は常に変化し続けるものらしいです。
確かに考えて見ると、今の自分がいるのは大まかな方向性は自分の意思で決めたものが大半ですが、実際にその方向性は偶然出会った本など外から得たものが大半を占めています。
この本を調べてた時に、見かけた『山の頂上に登るのでなく、山の頂上にいることを知ってもらう』みたいな、松本人志さんの考えがあるそうです。確かに、なるほどなと思いました。自分が何かを目指すのでなく、今いる場所を確かなものにして人に知ってもらうみたいなイメージでしょうか。

下記の記事も参考になりました。

www.lifehacker.jp


どんな仕事もある程度の成功者は必ず出るというのは当たり前で、そこの入り口に立つまでが難しいというような感じでしょうか。大企業の部長や、一国一城のお殿様になるのはその土俵に立てるかが大事なんですね。狭き関門。

成功者はお笑芸人も藩主も上場企業の部長も2、3割は成功者になるとのこと、まずはエントリーできる時点で恵まれてる。
ではいわゆる負け組は幸せになれないのだろうか。それは違う。負けも勝ちも、それぞれ価値観が変わっていくからだ。どんなに億万長者になれたとしても、本当に心を満たすことができなれば空虚な人生になってしまうからだ。逆にお金持ちにはなれなくても本当に大切な家族と幸せを築くことができれば、それ以上の幸せなんてないかもしれない。つまりは人生において様々な変化の中で、自分が何に価値を見出して生きていくか、どんな夢を叶えどんな夢を諦めるかという妥協点を見つける。線引きをする。それが人生の価値。
けれど幸せを感じることはできる
不思議。
計画的偶然性理論、犬も歩けば棒に当たる、つまりやってみた。キャッチアンドリリース。ヒットアンドウェイ。いきなりすべてがガラッと変わるのでなく、どんなことも少しづつ変化を与えて、継続して身についていく。継続が難しい。例えば毎日ブログを書こうと決めても、毎日減食して運動しようと思っても、次の日にはできずじまい。そんなことばかりあります。とにかく楽な方へ逃げるのが人間。

努力あってこその幸せ、それが一番大変

ビートたけしさんの名言も良かったですね。
努力は宝くじを買うようなもので、当たり券を買うことではない。
これは深い。確かに努力をすると、さも成功に結びつくと思ってしまいがちです。そして失敗に終わると努力が嫌になってしまいます。しかし、そもそも成功すると言う前提が間違っているのです。努力したものが成功するわけではないが、成功者は皆すべからく努力している。と言うはじめの一歩の名言もありました。努力=成功ではありませんが、努力しないと成功は絶対にしない。それが人生の厳しさですね。報われなくてもバッターボックスに立ちバットを振ることに意味があるのです。球が当たらないからと言ってバッターボックスから逃げるのと、当たらないとわかっていてもバットを振り続けることには、球が当たらないと言う同じことでも、雲泥の差があるのですね。

違う本ですが百田尚樹さんの本で「やってないことは出来ないと同じ」みたいなことがあった気がします。確かにいつでもできるから後でやろうみたいな考えは、つまり言い訳なんですね、いつでもできるというのは甘えですね。できないことから逃げている。それがどんなに簡単なことでも。例えば3キロ走ろうと思っていても、3キロくらい余裕だから今日はやらなくていいやみたいな思考になる時があります。それはつまり、やってない時点で、3キロ走るという簡単なことさえもできないということなんですね。そんな簡単なことさえ今のあなたはできていない。逆に言えばたった数分でも走ったならば、そのことにものすごく意味がある。毎日のちょっとした習慣が人生を変える。夢を叶えるゾウの本でもそんなこと書いてありました。いきなりすべてががらっと変わるわけではない、夢に向かって少しずづ習慣化し、生活の一部自分の一部、やらずには入れない状態になった時気づけば夢は叶っている。水木しげるさんがやらずにはいられないことをやりなさいと言っていました。つまり誰のためでもなく、極端な話自分のためでさえない、無心で夢中でやらずにはいられない体が勝手に動くくらいの自然な習慣。それくらいまで体に染み付いていることが自己実現に繋がるのでしょうね。アスリートなんかはそれを子どもの頃からやっているから超人になれるのでしょう。

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私も一時期サボっていたブログなど創作活動がやり方を工夫することで、毎日勝手に更新できるくらいに無心でやれるようになってきました。それはいいリズムになってきています。それをもっと他にもやりたいこと(ダイエットなど)に応用できる方法を探しています。まあ無理のないように。

夢の中で

夢の厄介なところはやりたいと思ってしまったら、何らかの挑戦と結果を見ないことには生煮え状態になってしまうことです。叶わない夢でも成仏させてあげないと人は次に進めないのです。それを節目やけじめというのでしょう。

夢は甘美だけれど、その陶酔感の蜜の中に居続けてはいつか枯れてしまう。いつも流れさせ循環させ代謝させ続けないといけない。濁った夢では錆びてしまう。だからいつまでもその甘美な夢に浸っていたい。
そしていつか自分を取り囲む冷たく厳しい現実を、甘美なる夢で満たしたい。もっともっと夢を大きくして自分から溢れさせ、現実に影響を与えるレベルで流れ込む。現実を夢に染め変えること。それこそが生きる意味なんだろう。夢と現実の境界はそこにある。