存在し続けることの難しさ

不条理は急に音もなく

働くのは本当に大変です。大人の世界は特に色々なしがらみや、損得があり、目に見えない様々な要因が物事を運びます。そこの本質にあるのはパワーバランス。縦割り社会の世の中で、理不尽ないざこざに耐え続けて得られるわずかな安らぎ。世の常とは戦いの歴史。自分の命をどこに賭けるか。誰に預けるか。信じていてもある日急にお払い箱。そんなこともよくあります。
だからこそバックアッププランを持つことが大事です。リスクヘッジですね。情熱を傾けることは大切ですが、全てを預けることは危険でもあります。どこにでもある二面性。
天職なんて本当にあるのでしょうか。都市伝説ですね。自分がやりたいことなんてない。どんなにがんばっても経済活動に全てを捧げる気にはなれません。では情熱はどこに行ったのでしょうか。自由になりたいけれど、ぬるま湯のような絶望の中で飼い殺される。なんの保証もないけれど、時は流れる。
こんな日は悪いことばかり考えてしまいます。楽観的に生きる秘訣はあるのでしょうか。ヒントは哲学かと思います。全ての苦しみや恐怖や悲しみに起こる意味はない。ただ起こるべくして起こるだけ。バカバカしいこともあるけれど、それもまた道理。情熱とか盲信はどこか宗教じみています。封建的に身を捧げるのは、かつての戦争のように日本人の気質に合うのでしょう。でも自分も勤勉なふりをしないと裏切られたり、見えないところで悪いことが起きています。

不運は転がる石のように

自分から何か良いことに働きかけない限り、世の中は急に良いことなんて起こらない。むしろ悪いことばかり起こる。つまり、時の流れは死に向かっています。そこで唯一自由に働きかけることができるなら、生を営むことではないでしょうか。苦しみの連鎖を断ち切り、何かを解決する。その繰り返しを少しずつ続けて世の中を良くしていく。壊すのは簡単だけど、積み上げるのは途方も無い努力と時間がかかる。誰かが花を手入れしているから、道端の小さな花壇にも綺麗な花が咲く。

子育ても似ているかもしれません。子どもを立派な大人に育てるには、地道な努力と教育が必要ですね。
子どもは自然そのものなので、ほっておくと悪い方向へ導かれてしまいます。常に目をかける。
「赤ちゃんは肌を離すな、子どもは手を離すな、青年は目を離すな、大人になったら心を離すな」みたいな誰かの名言みたいのがあった気がします。まさに子育ての本質ですね。
次の世代に何を残せるか、自分が何を育てるか、未来に残す何か。それこそ生きる意味かもしれません。この世に生まれた以上、良いことで名を残したいですね。

縁というのは不思議なものです。自分が誰のために生きるのか、誰のためまでなら生きれるのか。命を差出せる勇敢さは、災害のレスキューの人たちを見習わないければいけませんね。いつだって生死の狭間で生きていることを忘れてはいけません。タイムリミットはあまりない。人生は驚くほど短いのかもしれない。いつだって後悔のないように生きたいものです。

人を動かすことの難しさ

大人はみんな偉そうです。自分の小さなプライドの城の中で、自分は悪くないと泣き叫ぶ雛鳥のようです。そこから出ているときは、きっとペコペコしているのだろうに。安全な柵の中からは、権利ばかりを主張します。しかも、劣っている人間を見つけるとコレデモカとこき下ろします。

たまに陰湿で足の引っ張り合いの日本社会に嫌気がさしますね。キーキーなる自転車の方が良いみたいな英語の諺があります。その方が油をさしてもらえるから。という意味です。出る杭を打つ日本とは真逆の考えですね。足並み揃えて和を乱さないのが日本人の美徳なので、突飛した人にはコレデモカと石を投げる。マスメディアもこんな感じの時ありますね。一億総イジメ社会。陰湿で息苦しくてしょうがない時があります。でも自分もそこの一部であり、そう感じるということは自分こそが、その性質を持っているのでしょう。自分がそうだから認識できる。愚痴を言うなら、逃げるか改善せよ。なぜなら大人の世界では誰も助けてくれないから。学生であれば学校や親に頼れるのでしょう。

それぐらい社会は厳しいものです。自分で気づいて自分で直すしかない。できなければ明日はない。それこそが人生の厳しさ。どんな世界も同じですね。プロというのは努力を続けることでしか、結果を出せない。運良く楽に何かがうまくいくはずがない。そんな時頼れるのは、どんな時も目の前の小さな一歩から。さて立ち上がりましょう。「人生は素晴らしい、戦う価値がある。」シェイクスピアかなんかの言葉だったかと思います。