箱庭の中では、誰が風を吹かせて誰が喜ぶ

文章を書くということ。日常的で当たり前の行為なんですが、なんだかとても不思議なことのような気がします。若い頃は大嫌いでした。それこそ読書感想文など嫌で、自分の考えを発表することに意味も感じなかったし、とても憂鬱でした。しかし大人になって読書が日常的になってから、言葉そのものがとても好きになりました。

人間にとって最も基本的なコミュニケーションツールであり、道具である言葉は人類の発明したものの中でとても重要なものです。言葉でしか想いは伝わらないけれど、言葉だけでは本当の想いは伝えきれない。なんだか矛盾している不完全な道具のような気もします。

人類を変えたもの

発明といえば、私が思う人類史を変えるほどの発明は次のものではないかと思います。

まずは「言葉」。というか言語など全般ですね。これにより世界規模で人類は互いを人として認識できるようになったのではないかと思います。

次に「通貨」。これは信用とも言えます。お金が生まれ、お互いにお金の価値を信用し合うことで、色々な約束事ができる。約束ができることであらゆる物事が進む。変化する。まさに錬金術と言えます。お金に価値を与え、変化を生む。つまりお金とは変化のことです。もう一つ変化そのものと言えば時間があげられます。まさに時は金なり。この営みにより資本主義や市場原理主義など経済が発展したと言えます。

最後に、「インターネット」。まだ半世紀も歴史がないこの技術ですが、今後数十年、下手したら数年レベルで全世界レベルの人類に無くてはならないものになるでしょう。すでにSNSに依存している若者にとっては生活必需品と言えるかもしれません。我々は人類の情報革命の発生点そのものに立ち会っているのかもしれません。インターネットはあらゆるものに組み込まれ、今後ますます発展して行くでしょう。最近よく聞くIoTと呼ばれる考え方そのものですね。

loTやクラウド化などにより、あらゆるものが実態を持たずネットワークで繋がる。そこに最近こちらもよく耳にするAI技術が組み合わさったらどんな未来が来るのでしょう。今ではまだまだ情報処理能力は人間の脳には叶わないかもしれませんが、AIそのものは将棋やチェスの世界では人間を上回っているとも言います。今は限定的なことしか特化していないAIたちも、より複合的に高度に日常に浸透して行くでしょう。

まさにSFの世界ですね。映画ターミネーターの中で出て来るスカイネットを連想します。技術的特異点=シンギュラリティという言葉そのものです。人工知能が人類を上回る時。わくわくする気持ちと、なんだか不安な気持ちを持つ人がほとんどでしょう。

今流行りの未来

最近よく聞くのが、AIが仕事を奪うなどの話がありますね。単純作業などは既に工場などでロボット化しているのが当たり前ですが、AIがさらに思考するようになればオフィスで事務処理などを代行するのではないでしょうか。車の運転も自動運転が発達すればタクシーやバスなどの職業運転手がなくなるかもしれません。家事などもやってくれるかもしれません。私は労働意欲が低い人間なので、家事も仕事もしてほしいとちょっと思ってます。そうして自分はネットしたり遊んだりしていたいのですが、さすがに堕落しそうですね。でもそんな未来が来るかもしれません。日本人は勤勉なので働いてそうですが。それでも間違いなく生活や職場にAI技術が介入する日は来るでしょう。

最終的にはどんな感じになるんでしょうね。最終的に労働なんてナンセンスみたいな感じになるのでしょうか。あらゆることは一部の管理者が決め、実務はAIが行ない、ほとんどの民衆はその恩恵の中で平和に暮らす。ジョージ・オーウェルの小説「動物農場」の世界みたいですね。あと「1984年」とか。独裁者の作った箱庭の中で、そこが理想郷と信じてぬくぬくと生きる。ディストピアを描いたSF映画の世界そのものですね。「アイランド」という映画がこのような話でした。とてもおもしろい映画なので、SF好きな方は是非見てください。

蝶の羽ばたきが嵐を起こす

しかしどんなに考えても結論は出ません。予測不可能性についていうならば、まさにカオス理論というやつですね。どんなに環境を揃えても、現実には全く同じ条件での観測はできないから、毎回結果は変わるということですね。初期値鋭敏性というやつです。子どもの頃全く同じ場所からビー玉を転がしても、毎回違う場所にたどり着くことがとても不思議でした。完全に密室状態の風もない室内で、力を与えず、手を離しただけのビー玉が、なぜ何回やっても行く先に違いが出るのか。不思議でしょうがなかったです。今考えると回転によって軌道がずれるとか、力は与えてなくても微妙な位置エネルギーの誤差とか、斜面の見えないレベルの凹凸とかが原因だろうとわかるのですが、子どもの頃からこんなことを考えるのが好きだったのですね私は。当たり前のことがこんなにも不思議なのはなんででしょうか。当たり前のことなんて実はないからでしょうか。全ての事象は起こるべくして起こる必然なのかもしれませんが、どんな些細なことも起こること自体が不思議でしょうがない。不思議じゃないことなんて何一つない。世界はそんな風にできているんでしょう。