幻想水滸伝を今こそ

20年の時を超えて

幻想水滸伝というゲームがある。1995年に初代プレイステーションで発売された、コナミRPGだ。人気も高くその後シリーズ化も多くされた名作RPGだ。今回私はPS VITAでできる1、2のセットになったものを購入した。
2017年になった現在、改めてイチからやっていこうと思う。果たして22年の時を超えてもおもしろいのだろうか。

レトロゲームをやろうと思ったきっかけ

最近のスマホゲームがどうもしっくりこない。なんというかガチャとか課金とか時間で回復とかが馴染めない。しかもRPG的なものもダンジョンの探索はあまりなく、アイテム収集とかがメインであったり、敵との戦闘が永遠と続くイメージであるからだ。
そして、基本がオンラインなので自分のペースでじっくりやることができない気がする。手軽にサクサクと仲間と交流、みたいなスタンスがメインである気がする。おそらく今の中高生にとっては、それがおもしろいのだろう。しかし、身近に一緒に冒険してくれる仲間がいない会社員にとっては、孤独感が増すばかりだ。電車でサクサクできるというのも、正直画面にゲームが写っただけで恥ずかしい。いい歳してスマホゲームに夢中な大人はみっともないと感じてしまう。
正直言って、最近のなんでも手軽に済ます世の中の雰囲気は時々うんざりする。確かに現代においてあらゆる情報スピードが増えている中で、娯楽も手軽に終わらせることもありがたいかもしれない。YouTuber動画も短くて簡単に編集されたものがメインだし、スマホゲームはとにかく1プレイがすぐに終わるものが多い。ネットを見れば概要だけがわかるまとめサイトが乱立していて、何か一つのものにじっくり取り組まなくても楽しめるようになっている。

テレビ番組も最初にその回の内容をサクッと紹介している番組がほとんどだ。あれは本当にやめてほしい。一番面白い部分を冒頭に見せるのはなんのためにあるのだろうか。おそらく、すぐにチャンネルを変えられる時代に、番組に興味を持ってもらうためにやっている部分もあるのだろう。またオンタイムでなく録画したものを見る方が多い時代であるから、その回の中身がさっくりわかるような仕掛けなのだろう。だが私からすると本当にあれはだめだ。なぜならテレビなどのコンテンツの面白さの本質はライブ感だと思っている。何が起こるかわからない未知の部分にワクワクすると思っている。かつて電波少年などの番組が面白かったのは、とんでもないハプニングが起こるからであった。しかし最近の番組には一切それがない。コンプライアンスの関係もあるだろうが予定調和の塊でしかない。テレビの愚痴については今度じっくり記事にしよう。話が脱線してしまった。
つまりゲームにしろなんでも手軽にできる時代。それで本当にいいのだろうか。楽しい娯楽を手短に終わらせたら、それは楽しさを満喫したことになるのだろうか。楽しいからこそじっくり楽しみたいのではないだろうか。
だからこそのPS世代のレトロゲーム。きっと今の若い子たちも今のスマホゲームがレトロゲームと懐かしく感じる日が来るのだろう。プレイステーションも当時は次世代機だったのだが今見るとレトロ感がすごい。ポリゴンの荒さがなんとも言えない。スーファミのドットは美しいが、PSのポリゴンの荒さは汚いという記事を最近見た気がする。

壮大な世界観

幻想水滸伝の概要として、世界観はアジアのような雰囲気。将軍やら帝国などの歴史戦記ものという感じだろうか。
赤月帝国という国で、将軍の息子が主人公。戦争イベントや108星という仲間を集めるシステムが特徴らしいです。というのも初見プレイなので、あまりよくわからないまま始めます。
108星は全員が味方ではないという情報もあり、そのあたりがよくわからないがポケモンのようなものだろうか。仲間を集めるシステムはこの当時流行っていたような気がする。しかし初代ポケモンは1996年発売だから、こちらの方が先に出たようですね。攻略時間は大体1が30時間前後で、2も同じくらいのようです。なんとか1日1時間くらい進めて年内に1だけでもクリアしたいと思っています。そして、同時進行でこのブログ環境も徐々にカスタマイズしていきたいと思っています。とりあえず年内の目標はそのような感じです。まあ何事もコツコツと進めていけたらと思っています。

ぼんやりすることが大切らしい

ビーバップハイヒールという番組で、ニューロビクスという言葉を知った。

アイディアを生むには焦ったりして脳を疲れさすのでなく、ぼんやりすることがいいらしい。脳を酷使し続けることは鬱や認知症になるリスクがあるらしい。なんとなくわかる、一日中頭脳労働していると、本当に集中したい時に身が入らないことがあったりする。

以下のようなことをするとぼんやりしやすいとか。

 

単純作業をする(豆を剥くなど)

アルバムなどを見て過去を振り返る

高いところに登る、見晴らしのいいところに行く

駆け引きのあるゲームなどする。オセロとか。

地図に頼らず道に迷ってみる。

 

 

 

 

 

 

Amazonの凄さは「組織間の連携スピード」と「組織レベルの実行力」

全世界規模で流通革命を起こし続けていAmazon。普段漠然と利用しているAmazonは一体何が凄いのでしょうか。知っているようで実は謎が多い気がします。というか、答えなんてでませんが、なんとなく私のイメージを語りたいと思います。

スピード感のすごさ

とにかく早い。Amazonはとにかく早い。商品が届くスピードももちろんですが、あんなにも大きな企業でしかも世界的に展開しているのに、あらゆるサービスがすぐに普及するなど、変化のスピードがとにかく早い気がします。他のどんな企業も真似ができていないと思います。元々は本を扱うECサイトくらいのイメージでしたが、今では電子書籍から、生鮮食品まで扱うように、まさにロゴの通りA〜Zまでのあらゆる商品を扱っているように感じます。本を扱い始めていて、本に関して凄いサイトがあるなと思っていたくらいでしたが、DVDの販売を始めたり、さらには電子書籍Kindleもあっという間に業界シェアを確立しました。この成長スピードの早さは今の日本企業にあるでしょうか。最近ではサービスが多様化してきたDMMあたりは近いものを感じますけれど。世界レベルでやってのけるのが凄いですね。これだけの大規模な組織や業界を凄い速さで動かしていますね。大きい企業のデメリットは小回りが効かないところなのに、実に細かい気配りができていますね。
中国などのアジア圏ではアリババというECサイトが大きなシェアを占めているようですが、現在の日本においてはAmazonの一人勝ちのイメージがありますね。これも進化の早さと、情報の伝達の早さが生んだ結果でしょうか。

細かいところに気が利く着眼点。そして、その対応力。

ネットで物を買う場合には、いかにストレスなく決済までユーザーを誘導させるかというのが大事だと思います。楽天のように、わざとごちゃごちゃとした表示をさせ、いろいろな商品に目を惹かせるような構成も一つの見せ方ではありますが、意図もなく掲載するだけではユーザーはサイト内で迷ってしまいページから離脱してしまいます。ECサイトというのは表示時間などが数秒変わるだけで、商品の売上率も変わってくる程にシビアな世界です。その点Amazonは、とにかくカートに進ませて決済に行くまでのムダのない工夫が凄い気がします。とにかくスムーズ。
便利にするアイディアを考えることはできても、それを短期間であらゆる場面に展開をするというのは、大規模なサイトを構築した経験のある私から見ると驚くことばかりです。これはよっぽど凄い方法で、社内で共有して実行するプロセスがあるのではないでしょうか。社内の情報の伝達を、どのように行なっているかが気になるポイントですね。

オンラインだけでなくあらゆるサービスを思いつき、実行に移す実行力の凄さ。

今後もますます便利になっていくであろうネット通販ですが、10年後にどんなサービスが展開しているかは、想像もつきません。ムーアの法則のように、何かが予想もできないくらい爆発に成長するのは恐さも感じますが、それ以上にワクワクしてしまいますね。これ以上どうなったら便利になるかなんて、想像もつかないところに新たな市場が眠っていますからね。このようなものをブルーオーシャン戦略というのでしょう。
ここ数日では、生鮮食品を扱うホールフーズを買収などのニュースが賑わっていますね。そしてジェフ・ベゾスは資産が9兆円を達して世界一の大富豪にもなれそうな勢いです。凄すぎですね。日本だと孫正義さんもこれくらい凄いところにいきそうですね。世界レベルの大富豪になれたら日常の悩みなんてないんでしょうか。

理不尽と悪意に負けないために

男の世界はしんどい

くだらないことで人を傷つける人はたくさんいますね。そしてそれこそが男の世界にとっては成長といわんばかりに試練こそ、厳しさこそ男の世界の欠かせないものみたいな価値観を持った人は意外といます。正直、馬鹿馬鹿しいです、私はドMじゃありません。そんな価値観の押し付けは好きな人同士でやってください。しかしそうゆう物はあります。必ず。男の成長は痛みや試練を伴うというのは古来からの、なんというか共通認識みたいなとこがあります。スポ根的な、精神論と根性論みたいな。マンガの読み過ぎじゃないですか?
価値観を強要するのはいけません。その延長線上がパワハラでしょう。そうゆう、人の嫌な思いをさせる人の悪意はどのように受け止めるべきでしょうか。つらいけれど戦うしかありません。侮辱されたら戦うしかありません。
法治国家において、殴ったり物を壊したりの明確なパワハラはめったにありません。それ以上に多いのは言葉の暴力でしょう。というかほぼ全てがこれであると言ってもいいくらいです。
言葉の暴力には二種類あります。直接相手を罵倒することと、陰で相手の悪口を言うことです。陰口というのは、上司と部下の関係でも対等であるといえます。部下もたくさん上司の陰口を叩かかとができますからね。しかし、直接相手を罵るというのは、上司から部下へ一方なのがほとんどでしょう。部下は基本的に反論できないものですから。ただ、説教や叱るなどの、相手を諭す行為なら救いがあります。しかし、これがエスカレートした場合に言葉の暴力として一方的に、部下を追いつめる行為になります。では、理不尽な上司からの言葉の暴力に遭遇した場合どうすれば良いのでしょうか。

戦うか逃げるかより、第三の選択を

一番簡単な方法は、目をそらさないことです。人を傷つけることを言う人は、本人に必ずやましさがあります。負い目があります。本人に明確な悪意があります。そんなことを言ってくる人には目を見据える方法が一番です。文明社会において、暴力で人を傷つけることはただの犯罪です、だから敵は言葉であなたの心を傷つけようとしてきます。つまり敵はよくしゃべります。言葉の暴力に言葉で返すことは得策ではありません。もちろん、暴力で返すことはもっといけません。
大事なのは、相手のペースにはまらないことです。言い負かされるというのは、相手の挑発に乗ってしまっているからです。もしかしたら相手は周到に準備していて、あなたを打ち負かす論理と話術を持って攻めてきている可能性があるからです。
突然の言葉の暴力に、何も手を用意していない状態で反論するのは危険すぎます。あなたが言葉の弁が立ち、言い負かす自信があるなら良いでしょうが、ただでさえ上司と部下という分の悪い関係性の場合、相手の土俵に上がるのは得策ではありません。
反論がだめな場合は、逃げるのが良いのでしょうか。それもあまりいい手ではないですね。逃げるというのは相手の思うツボだからです。攻撃をしかける側は、相手が逃げるということも想定しているはずです。そんな相手に背を見せるというのは、最も危険な行為の一つです。あなたがひるんで目をそらしたとたんに、もっと追い打ちをかけるかのようにあなたを責め立てるでしょう。
だから、目をそらさず反撃も退避もせず沈黙を保つことです。戦意を捨てるというわけではありません、まず冷静に状況を分析するのです。相手が何に怒っているのか、何が気に食わないのか、どこに解決の糸口があるか見抜きましょう。
そして、見つかるまでは相手の口から「攻撃」という弾がでなくなるのを待ちましょう。

困難はひとつひとつ潰していきましょう

すべての攻撃が終わったらあなたのターンはどうするべきでしょうか。反論の余地があれば言っても良いですが、その場での反論はあまりよくありません。そこが職場の場合周りの目に映るからです。部下が上司に反論していたら他部署からみたら、あなたの評判が落ちます。あいつは上司に口答えするようなやつと思われます。そこまで計算に入れてあなたに反撃させようとしているかもしれません。だから、言われたことを忘れずに一度持ち帰ってみてはどうでしょうか。そして、冷静になってじっくりと論理的にどうすれば言われたことに対して対処できるかを考えます。その場で回答をするとどうしても感情的になってしまうからです。そして反撃をしたいなら、周りに人がいない状態で、話をする機会をとってもらえば上手くおさまるのではないでしょうか。

「インデペンデンス・デイ」みたいな映画って最近ないですね

かっこいい俳優は昔からずっとかっこいい

2017.06.10土曜プレミアムにてインデペンデンスデイを見た。
何年ぶりかに見るとやはり最高にいい映画だ。ジェフ・ゴールドブラムとウィル・スミスが今とあまり変わっていないのがすごい。当時からずっとかっこいい。個性的な俳優。ジェフ・ゴールドブラムといえば、ザ・フライもおもしろいですね。ウィル・スミスはどんな作品に出てもヒットするのがすごいですね。

予算の掛け方がすごい

この当時でこの迫力の映像もすごい。現代の邦画がまだ追いつけていないと思う。やはり予算の掛け方が日本とは大違いなんだろう。最近の邦画はようやくCGが違和感なく見れるようになってきたが、この当時でこの撮影のスケールがやはりすごい。いくら使ってるんだというようなシーンがところどころある。大統領にさえ秘密にされていたエリア51のセットもすごかった。セットの小型宇宙船も実際に作ったのだろう。
また、ところどころ懐かしいものが出て来るのがいい。PCは当然薄型モニターなんてないし、大統領がホワイトハウスで見ているテレビも平面ではない。今となっては当たり前のスマホも出てこない。
宇宙人に送るウイルスソフトもMacOS9という懐かしき神OS(よくフリーズしたけれど)。と言ってもOS9は10年前は私の中では0S9は現役だった。意外と最近までOS9を使っていたんだな。(笑)今のOSXのインタフェースを見慣れた状態で、OS9見るとおもちゃみたいで可愛いですね。この10年であらゆるテクノロジーが進歩したと痛感させられます。

名作の条件は

この映画は良いシーンが多いが、やはり大統領の演説シーンが人気だろう。久しぶりに見ても少し感動で泣きそうになってしまった。

しかし、この演説の内容は元ネタがあるみたいです。しかもシェイクスピアの史劇「ヘンリー5世」のそのままみたいですね、ちょっとショックです。

ciatr.jp
また、最初から最後までずっと展開がおもしろい。退屈する暇のなさは、ダイハードやバックトゥーザ・フューチャーなどのようですね。名作の条件は無駄なシーンがないことはもちろんだが、退屈するシーンがないということがあげられる。全てのシーンにおいてどこか神々しささえも感じる無駄のなさ。ずっとワクワクする展開。まさに名作。
しかし、5時間後に全世界で同時攻撃ってよく考えるとすごい無理があるな。情報を共有するだけでも半日はかかりそうなのに、どのような装備にするかもわからないのに攻撃準備して実行に移すとか。それを全世界同時に行なうとか、無理ゲーすぎますね。ある程度 臨戦態勢にあるという前提だとしても、やはり半日はかかりそうである。しかも通信が今ほど発達していない時代に。

世紀末の頃の映画と最近の映画との違い

やはりベタではあるが一つの目標に向かって、一丸となって何かを達成させる展開はおもしろいですね。だいぶアメリカかっけー&アメリカバンザイな映画ではあるが、展開の熱さは何度見てもいいですね。地球軍VS宇宙人というわかりやすい図式ですが、SFアクションなので女性向けではないかもですね。宇宙モノの女性にオススメの映画は、ディープインパクトアルマゲドンでしょう。

しかし、90年代はこの手の宇宙からの脅威を扱った映画が多いですね。世紀末の危機感などが関係しているのでしょうか。この時代は、終末ものやセカイ系が流行り始めた時代ですね。2017年現在の今はあまりこのようなジャンルはない気がします。最近では、リアリティのあるテロとかの脅威を扱う映画が多いですね。どちらかといえば現実に起こりそうで、気楽に見れるポップコーンムービーは少ない気がします。やはり映画などのエンターテイメントは時代や世相を反映しているものが人気になるのでしょうか。

I'm so crazy about game.(ゲームに夢中)

New Nintendo 3DS LLが欲しい理由

新しい3DSがあるということを知った。News3DSというやつだ。従来のものと違いがよくわからないが、買おうか迷っている。なぜかというとテラリアというゲームがやりたいからだ。このテラリアというゲームは中毒性がすごい。とにかくハマる。マインクラフトと似ている点が多いのでよく比較されるソフトである。元々は私はiPhone版をやっていたのだが、ゲーム機でもやりたいと思ったからだ。だから3DSを買おうか迷っている。しかも昨日はわざわざお店に価格を見に行った。画面のサイズ感は3DSLLがやはり好みである。テラリアだけならPS VITAのを買えばいいのだが、3DSの魅力は何と言ってもバーチャルコンソールでもある。過去の任天堂作品ができるものはこれだから。PS VITAでも昔のPS時代のゲームをゲームアーカイブスでやっているが、やはり任天堂作品をしたいという気持ちがある。スーパーファミコンゲームボーイのソフトをいつでもできるというだけでワクワクする。マリオカートの初代やゼルダもやりたい。ファイナルファイト2もやりたい。大画面でやりたい。LLを買うなら2万近いし、ソフトもあれこれ買うと4万近くいく気がする。けど欲しい。とりあえずテラリアのVITA版を買ってみようかという気持ちもある。ダンガンロンパも欲しいし。
あとバンドブラザーズも欲しい。大合奏バンドブラザーズは、音楽系を楽しむならこれと言わんばかりに私に訴えかけてくるものがある。

テラリアはVita版を買うとして

サンドボックス型というジャンルのテラリアのハードごとの違いを調べてみた。まず調べてわかったのは、オンラインでできることである。そういえばiPhone版もできた気がするがなぜわざわざ買うのか。
違いがわかりやすいyahoo知恵袋を見つけた→
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12158797902
この内容を見る限り、私の場合Vita版が向いている気がする。そのため、Vita版を買うことにした。iOS版よりもボリューム感や操作感が良さそうである。久々にVitaを電源入れるか。
しかし、そうなると3DSを買う理由が減ってくる。3DSも非常に魅力的なハードであるが、最新のゲームはあまりやる気が起きない。2DSの新型が出るらしく、ドラクエ11版みたいなものが7月に出るという話である。しかし迷う。スマブラくらいしか純粋に欲しい3DSソフトがないからである。バーチャルコンソールのために2万近くの出費は惜しいし買うと昔のソフトも大量に買って、積みゲーになることが目に見えている。そうなるとやはり4万近くになる。思い出に払う4万は痛い。過去にとらわれ4万払い、それが未来に繋がる何かを生み出すのだろうか。切実。他にもやるべきことはたくさんある。生産的な活動をしないと金と時間の浪費になる。大人になるということは我慢も大事。それでも欲しい!!
ファミコンミニも欲しい。時間とお金が何よりも欲しい。

永遠に近い「時の最果て」には何があるのだろう

時間とは変化

何かが存在するということは、時間こそが証明してくれるのではないか。
何かの存在を確かめるには、観測することができるからである。観測とは観測者がいて成り立つ。観測者が何かを感じとるには五感が必要になる。五感で確かめるということは、見たり聞いたり触れたりすることである。今見ているものを感じる、過去見たものは記憶として脳に残る。つまり今起きていることを観測するにはリアルタイム性が必要になる。そうなると過去のできごとは存在しなかったのだろうか。そんなことはない、歴史も思い出も何らかの形で今も存在するから。それを忘れてしまったとしても、他の人が覚えていたり環境が教えてくれる。時間とは変化である。では変化することは失うことなのか。
そんなことはない、感じ取ったぬくもりは確かに次の何かに繋がっているから。
ご飯を食べたという事実があるから、満腹になり元気に動ける。行動するエネルギーに変わる。好きな人がいたから、幸せな思い出があるからまた人を好きになれる。嫌いな人がいたから同じような人を避けれる。何かに記していなくても確かに思い出は存在する。

意志を永遠に残すことはできるのか

今から137億年前に宇宙は生まれたらしい、今から何年宇宙はつづくのだろう。地球誕生は約45億年前。
アウストラロピテクスは400万年前に生まれたらしい。まだまだ猿人くらいだろう。
2017.06.10(土)のニュースで人類ホモ・サピエンスの30万年前の化石が北アフリカのモロッコで見つかったという。これまでの定説より10万年も前らしい。10万年の差というのはすごい。西暦でさえ2000年ちょっとなのに10万って。10万年後に今の人類の化石が見つかったらどうなるんだろう。というか現代の場合は火葬されるから化石もくそもないが。なんらかの形で現代の文明は発見されるのだろうか。物としての情報はそれこそ化石のような残りやすいものはでてくるかもしれない。データは残るだろうか。PC自体は消え去るだろうが、例えばクラウド上にあるデータは高度に分散されたインターネット上に残り。PCやサーバーがすべてなくなっても、バックアップ用の電波とか粒子とか波長に変換され宇宙の海を漂っているのかもしれない。現代人が生きていたという証が電波として、誰かに受信されるかもしれない。そうなると私のこの雑記も10万年後の誰かが読んでいるのだろうか。ただ、現代語を読めるかは不明だが。数百年前の古文や漢文を読むのに苦戦するレベルの私には10万年後の言語体系なんて想像もつかない。
言語という保存方法自体が未来人にとってはナンセンスなのかもしれない。もっと一瞬で伝えたい概念が伝わる通信や記憶媒体があるのだろう。エスパーとかニュータイプとかのレベルの世界になる。いつか脳波とかで会話をする日が来るのだろうか。言葉がなくなったら、どのような影響が出るのだろうか。想像もつかない。